子育てって正解はないと思います。
ガチガチに管理して育てるのが全て間違っているわけではないし、自由奔放に育てるのも正解とは限りません。
ところで、こうした「子育て論」についてよく耳にするのは「放任主義」という言葉。
放任主義と聞くと何となく、自由にのびのび育てているんだな〜って気がしますよね。
けど「放任主義」って、子どもには何でもさせるっていう意味なのかな?と疑問に思うことも。
そこで放任主義の真の意味について考えてみました。
その結果、「それって放任じゃなくて放置なのでは?」と感じることも出てきました。
この記事では放任と放置の違いについて解説いたします。
自分の子どもはもちろん、よその親子を見ていて「これは放任主義?」と悩む事があれば、その解決の一助となっていれば嬉しいです。
この記事の目次
まずは言葉の意味を知る事が大事です。
放任と放置についてそれぞれ辞書を引くと、以下のように書かれていました。
となっています。
似たような言葉が書かれているように見えるかもしれませんが、それぞれの説明から受ける印象は違っているとは思いませんか?
あくまで言葉のイメージではありますが、親から見た子どもの放任とは「物事について理解している子どもを信頼し、見守っている状態」と言えるのではないでしょうか。
物事について理解しているというのは、例えば公共の場所でのマナーや振る舞い方、他者とのやり取りや対応方法など。
一例ですが、
1、危険な行為や迷惑行為をしない。
車道に飛び出したり他人に暴力を振るったりしない。
静かな場所で急に叫んだりしない。
電車やバスなどの椅子の上に立ったりしない。
2、社会常識を守ることができる。
例えば売り場の商品を勝手に開封する(お菓子など)ことや飲食店でバタバタ走り回らないなど。
といったもの。
「放任主義」の学校生活においては、提出物は自分で進行管理して期日までに提出したり、登下校時や昼食の時の挨拶、礼儀などをわかっているなども大事でしょう。
時には失敗することもあるでしょうが、基本的な常識やマナーは理解しており、親もそれをわかっているからこそ子どもを信頼して放任できるということですね。
では「放任」に対して放置はどうかと言うと、「社会常識やマナーを子どもに教えず、ほったらかしにしている状態」と言えるのではないでしょうか。
上記の例にしたこと、例えば静かな場所で急に大きな声で叫んだり電車の椅子の上に靴を履いたまま立ったり、スーパーの売り場で購入前の商品を開封したり。
こうした事があっても親からは注意をせず、ほったらかしにしているのが「放置」ではないでしょうか。
このような状況を目にして注意した時に限って、「ウチは放任主義なので自由にさせています」と反論する人もいるくらいです・・・。
どちらのパターンも、子ども自身は自由に行動している部分が大半です。
ストレスはそれほどかかっていないのかもしれません。
しかし、社会常識を全く気にせず育ってしまうと、成長した時に困るのは子ども自身なのです。
社会に出て、「なんだ、そんなことも知らないのか」と思われると、多くの面で不利になってくるでしょう。
そうならないように少しでも助けになれるのは、親の育て方次第になってくるのです。
この記事では「放任主義」について調べ、考えてきました。
放任と放置という似たような言葉がありますが、中身は全く別物と考えた方がいいでしょう。
放任は「社会常識やマナーなど基本的な事はわかっている子どもを信頼し、自由にさせること」です。
放置は「覚えておくべき常識などを親が教えず、好き勝手に振る舞わせること」と言えそうです。
最初に「子育てに正解はない」とは書いたものの、行き過ぎた放任はもはや「放置」。
放置は言い換えれば「無関心」となります。
子どもに無関心にはならないよう気をつけないといけませんね。
この記事が子育てについての参考になっていれば嬉しく思います。